暇つぶしの玄人

読書の記録、雑記、日常の買い物

石川雅之『惑わない星』8巻

もやしもん』を読み返そうと思ったら、紙の本が手に入らず、kindle で読むことになった。

 

こういったことが将来も起こるであろうことは想像に難くなく、同じ漫画家の描いているこちらは、紙でせっせと単行本を買い続けている。

 

 

しかし、前巻から間があくとどうにも話の流れを忘れがちで、まとめて読み返す必要が出てくる。

 

地球惑星物理系の話を絡めつつのディストピアもので個人的な趣味のストライクゾーンをつかれている。

 

7巻あたりから少しずつこの世界の大きな物語が判明し始めたのでいよいよ面白くなってくるはずだ。

 

気になる点として、(『もやしもん』のときから気になっていたのだが)女性キャラの描き分けがあまりできていないので、惑星たちのキャラ付けがなかなか頭に入らない。

 

なので大筋の話は理解しつつも「この惑星ってどんなキャラなんだっけ??」となってストーリーに没入できないことがある。

 

カラーだと惑星ごとに色で歴然と差があるのでいっそオールカラーならわかるんだろうか…

 

思わせぶりな伏線を拾いながら話は終結に向かっていきそうな空気も感じるが、なんとなく発散しそうな予感もするというのが現段階だと思う。

もうしばらく見守っていきたい。

 

もう少し宇宙のロマンというか物理学の深淵に覗き込んだほうが話が面白くなりそうだと素人考えに耽りながら次の巻を待つ。

映画『リバー、流れないでよ』ヨーロッパ企画

前情報はTwitterでチラ見した「2分間のループもの」というだけで、邦画なのか洋画なのかも把握せずに見てきた。

www.europe-kikaku.com

めちゃくちゃ面白いか?と言われれば微妙なラインだが、絶妙な安っぽさがコミカルなテイストにもつながっている。

 

上質なB級という感じ。

 

ハリウッドのSFのような迫力はない。

舞台はどことなく日本の温泉街ならどこでも似たような場所を探せそうで、ロケーションもありふれている。

次第に明かされるループの種も意外性があるわけでもない。

最後に出てくる美術はそんなペラペラなものでいいのか??狙ってる?

 

 

しかし、ベタな設定を重ねつつ、伏線はきちんと拾っていくし、キャラ付けも適度にデフォルメされてわかりやすい。

 

なにより2分という恐ろしく短い時間でループするので(普通「同じ一日を繰り返す」とかだよね)ループのテンポがよく、登場人物たちがループを把握しつつ、適合したり、楽しんでいる様子が笑えてくる。

 

また、ループものでは、時間が反復していることに自覚的なのは主人公を含めた少数というのがよくある設定だと思うが、この作品ではループの中にいる人たちが皆気づいているので

「私の初期位置ここなんで」

「次のターンでまた来てください」

などのメタなセリフが飛び出してくる。

 

劇場でも笑い声が何度も漏れていた。

 

 

限定された舞台で芝居が展開していくので演劇的な雰囲気も感じる。

 

劇場の大スクリーンじゃなくてもよかったかな?いや、でも面白かったからいいか。

 

劇場に何度も通うほどではないがDVD出たら手元に置いておいてもいいかな。

 

配信に入っていたら見たい。

 

映画のチケットが値上げしたので2000円というのでちょっと悩ましいが見ても後悔はしないと思うよ、くらいのおすすめ度。

あかちゃんのウンチはなぜ黄色いのか?

現在、子育てに勤しんでいる。

日々の育児で生じる不安や疑問は尽きないが、その多くは忙しさの中に紛れて消え去っていく。

表題の件について、数年後に振り返るつもりで備忘録のつもりで、考えたことと調べたことを記録してみたい。

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小泉悠『ウクライナ戦争』

筆者であるユーリ・イズムィコこと小泉氏のことをずっと、Twitterにいるインターネットミームで遊ぶのが好きなミリオタだと思っていた。というかそうなのかもしれないが、今は東大の先端研の講師でもあるそうで、興味本位で初めて氏の著書を手に取った。
 
面白い、そして、読みやすい。
 
現在進行形の事象に研究者が論じる場合、どうしても未解明なことも多く、書きにくい面も出て来る。
 
しかし、この本を読むことで、まったくよくわからない部分と、分からないなりに把握できる部分が生まれてくる。
 
私自身はロシア軍の2022年の侵攻が始まるまで、恥ずかしながら現代ウクライナの状況をほとんど何も知らなかった。
ロシアのクリミアの併合が浸透工作から始まる不当な侵略だといううっすらとした認識があり、一方でドンバスに関しては名前も知らなかった。
 
本書を通じて、戦争に至るまでの近年のウクライナ・ロシアそしてアメリカなどの関係に関しての概略が掴めたように思う。
 
一方で、予言やプーチンのイタコではないので、戦争がいつどのように終結するのかの断言や、2022年に始まった全面侵攻をプーチンが決断した直接的なきっかけを断定的な記述はない。蓋然性の高い推論を示しつつ

プーチンに開戦を決断させた動機は何であったのかは、現時点では「よくわからない」と認めるほかないだろう。

(表題書195頁)

としている。

 
プーチンの心中は類推するしかないし、戦後になっても詳らかにならないかもしれない。
 
それより重要なのは、我々日本人にとっては、ウクライナは明日の東アジアという視点で、台湾有事の際に日本がどう振る舞うかであり、「おわりに」でも主体的議論の必要性を訴えて本書は結ばれている。
 
軍事理論の用語が見慣れないものでとっつきにくいところもあるかもしれないが一般書として丁寧に解説されており、すんなり読めるので広くオススメしたい。
 

余華『活きる』

読書というのは芋づる式に広がるもので、好きな小説家の講演を聞きに行って、彼が読んでいると聞いたので手に取ったのがこの本。

 

現代中国の作家を読むのは初めてだったかもしれない。

 

古典では漢籍は重要な教養だし、西遊記だとか水滸伝だとかの日本でもよく知られた中国文学は枚挙にいとまがない。その一方で、現代中国の小説を読んでいるという人は少ないのではないだろうか?

 

本書は国共内戦期から1970年ころの中国を舞台に、福貴という男の一代記を「ぼく」が聞き書きしたものという体裁をとっている。

 

いわずもがな戦争と混乱の激動の時代なわけで、起きる出来事も命のやり取りや生活の混迷が描かれる。

 

この本を読む以前は中国では言論統制が厳しく、大躍進政策を顧みるような記述が許されないのだと思っていたが思いのほか批判的に政府の愚かさも描かれていた。

 

個人的に興味深いなと思ったのは、主人公の福貴を中心とした登場人物たちの諦念というか器用な脱力(無力ではない)のような空気だ。

 

理不尽に襲い来る時代の流れの中で「活きる」物語だとすると、日本の小説家ならその活力を描きそうなものだ。しかし余華はむしろ「まぁ、しょうがないよね」とでもいうような脱力を描いている。それでいて「もうだめだ」という無力感でもない。

 

「いろいろと個人の努力とか才能ではどうにもならないことが次々と起こるけど、まぁ、なんとか生きていきましょうかね、ははは。」という人生への向き合い方で福貴は老人になる。家族も死んでいくが後を追うでもなく静かに生きている。

 

読後に、「この世界観は現代中国の国民性なのか?だとするとこういう感覚は日本人と共有されうるのか?」と考え込んでしまった。

 

経済成長を遂げた、それでいて地方と沿海部の都市で大きなひずみを抱えた現代中国ではまた違うメンタリティーなのかもしれない(実際、友人の中国人は国外に進出している層だからか活力に満ちた人が多いように思う)が、今後の日中関係のための中国理解に際して一つの見識を得た。

 

平野啓一郎『透明な迷宮』

 

現代日本の小説家を一人挙げるなら平野啓一郎と答えるくらいに、平野啓一郎の作品が好きだ。

 

では、平野啓一郎で最初に読む一冊は何がいいだろうか?

 

短編集の『透明な迷宮』は手始めにいいかもしれない。

 

処女作やこの短編集は森鴎外のような日本文学への歴史的接続を意識させるところがあるというのが個人的な印象。

 

特徴的な難しい漢字(幾許だとか)が多いのは読みにくさにつながるが、ルビは適宜振られているし、一つ一つが短いのでどれか一つ選んでだまされたと思って読むのに大きな苦痛はないだろう。

 

読んでいて引き込まれるようなスリリングで時にミステリアスな展開と、そこから薫ってくるすこしかび臭いくらいの湿った日本文学臭が刺さる人には刺さると思う。

 

とくに推したいのは「火色の琥珀」で、キリスト教神秘主義のテキストからの引用で始まるこの小品は、「一体何の話なのだろうか」と思っているうちに幽玄な世界に引きずり込まれる。

 

同時に最初は何の話か分からないがために二周したくなるタイプの小説だ。

 

中高生に

「性倒錯者の自伝の体裁をとった小説だよ、面白いから読んでごらん」

と紹介したら読んでもらえるかもしれないが、想像とは全く異なる方向性だろう。

 

恋慕の対象が(実在の)人間ではないというところまではままある設定だが…

 

燃えるような恋、熱い愛情などといいますが、火遊びはほどほどに。

小川剛生『兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実』

表題の本を読みましたので、紹介と雑感。
 
高校時代、国語の古典の夏期講習で某予備校から外部講師の方が来られていて
 
「この兼好法師のことを吉田兼好として記述している場合があるんですが、本人が生きていた時代には卜部兼好兼好法師として名乗っているので、このひとの幽霊に出会ったとき『おーい、吉田ぁ』と呼んでも反応してくれません。『おーい、卜部ぇ』が正解です」
 
などというような解説をしてくれた記憶があります。
いや、そのシチュエーションはないだろ…と思ったあの夏。
 
幸か不幸か、今日まで兼好法師の幽霊に出会うことなく過ごしてきましたが、帯にあるイラストの「吉田、って誰?」の吹き出しに昔の記憶が呼び出されました。
 
古典は古典であるがゆえに数十年たっても変わらず読まれているわけですが、研究によってその理解が深まっていくのは興味深いですね。
 
時間軸でいうとますます離れて行っているのに。
 
本書ではなぜ卜部兼好吉田兼好として扱われるようになったのか、また、それに際して兼好法師の経歴が「盛られた」ことの考察が書かれています。
 
核心は当該書籍で。
 
個人的に今日興味深かったのが、兼好法師の時代の朝廷のあり方(内裏にのこのこ入ってくるやつがいる)や、庶民が貴人の行動を見物する際の建前(被り物をしていれば黒子扱いしてくれる)といったあたりでしょうか。
 
現代人の感覚や別の時代の知識をもっていると一瞬意味が分からない記述が古典には多くあり、その意味が分かると価値観が拡張される感があります。ある種の異文化交流。
 
新書を久しぶりに読みましたが楽しい読書体験でした。