暇つぶしの玄人

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隈研吾『10宅論』

表題の文庫本を読んだので簡単にレビューします。

 

隈研吾氏の住宅に関する割合と短い文章。

今回は精読というよりも一旦素読してみたのですが、文章構成は単純です。

はじめに→分類ゲームの前提→各論→あとがき→文庫版あとがき


というような流れで、タイトルのまま10種類の住宅(の類型)について論じています。各論で挙げられているのは有名建築かというとそうではなく、類型の代表として匿名のプランや坪単価(!)はたまた住所(!?)が示されているのです。架空のものなのか、実在のものを名前を伏せているのかは不明です。これらはそれぞれ名前がつけられていますが、名前の付け方は統一されておらず、モデルとなった空間の名前(カフェバー派や料亭派)がついていたり、不動産的な分類(ワンルームマンション派や建売住宅派)だったりとバラバラです。まずここに注目したい。


10の分類に何か基準があれば統一的な名前を各派に付けるでしょう。例えば構造種別で住宅を分ければ鉄骨、鉄筋コンクリート、木造、その他に分けられるというよう。これは非常に受け入れやすい。しかし本書はそうではない。なぜか?

 

なぜ10コなのか。これといった理由はない。11コでも20コでも別に構わないし、すぐさまそのように分類し直すことも可能である。

(文庫版1990年初版2007年第5刷p.11)


それでは分類する意味がないではないか!とも思ってしまったのですが、この本を書いたモチベーションを考えると、ある仮説が浮かびます。

 


建築家として住宅を設計するに当たり、クライアントの住宅への欲望を類型化することで、住宅の設計に大まかな方向性を与えようとしていたという仮説。

 


つまり、住宅の設計で、まず10類型のどれにあてはまるか考え、用意されているオーセンティックなプランを参考にして考えるためにこの類型を作った。この手法であれば設計の初期の段階を非常に効率的にできるのではないでしょうか。


実際に隈事務所がこういうスタイルで設計しているのかは知りませんが、あとがきや文庫版あとがきを読むと住宅にどのような欲望が向けられているのか10個の階級を「でっちあげ」ようとした試みであるとは言明されています。そんなことを建築家がやるとしたら設計のリサーチ手法だと考えるのが自然でしょう。

 

しかし、この文章は平明であるにも関わらず多層的で、読み方はこれだけにとどまりません。


1986年に書かれ1990年に加筆されたこの文章には「表徴」や「象徴」、「記号」という単語が繰り返しでてきます。時代性を感じて「古い!」と思った点でもありますが、「記号論の先端から、現象学的方法まで見通しているという不思議な書物」*1というのも事実です。住宅を何かの象徴として捉える見方が非常に強く、それぞれの住宅類型が参照しているものが記述されます。そしてそのような記号性をあたえる文脈のような「場所」なるものとして各派が存在しているという説明がなされます。この住宅という記号に意味を与える場所に対する考察が(近代合理主義への批判とからめて)なされる歴史的家屋派の章が他の章で記述されてきたことの総括になっていると言えます。


建築のデザインの観点からは離れますが日本における意味論として面白い本かもしれません。建築思想や設計時に考えていることが述べられる本とは違い、こういう建築書もあるのか…とおもった一冊でした。

*1:同書解説 p.225